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2012年12月31日月曜日

2012.12.31 Mon

四国へ ~5日目~

大みそ日の撮り納め・八十場駅の研究!?


 大晦日・・・前日に大掃除をして疲れていた私は、親戚と家でゆっくり。何回大富豪をしたのだろう(笑) 夕方になり、年末の撮り納めをしてきました。午後になっていろいろと時間が過ぎてしまい、着いたら日の入り時刻寸前でした。

JR四国 予讃線 八十場にて
 ▼JR西+四 223-5000+5000系 3148M 快速マリンライナー48 岡山行
 ブレを抑えるためにSSを上げたものの、ISOは上げたくなかったので暗い画像に。以下、暗い画像をご承知の上でごらん下され!


 ▼JR四国 6000系第2編成 145M 普通 観音寺行 211・213系フェイスの6000系。高松よりにパンタグラフを2機装備しています。この後、続行で第1編成も来ました(1247M 快速サンポート 琴平行・下の画像左)。

 ▼右・113系第1編成 154M 普通 高松行
 右の113系電車の先頭車から、車掌さんが頭を出しています。JR四国は先頭車両に運転士さんと一緒にいることがありますね。

 撮りたかったもの↓↓
 ▼JR四国 キハ185系 9023D 特急いしづち23 多度津行
 年に数回の期間限定の“補完”いしづち。通常はしおかぜ・いしづちの合わせて8両で運行されているところを、期間的に増える本州方面からの利用客に対応するためにすべて「しおかぜ」で運行。いしづちの車両がなくなってしまうことから、高松⇔多度津のみのいしづち号として臨時運行されています。高松⇔多度津以西は8両のしおかぜに乗り換えることになりますが・・・

 ところで、ここで撮影した「八十場駅」(やそば)は、現在のプラットホームは列車4両分ですが、昔は1両分しかないと聞いたことがあるので、プラットホームの元の部分・拡張部分を見てきました(踏切から撮影)。

 ※八十場駅を含む坂出駅~高松駅間は、予讃線と瀬戸大橋線では上り・下りの呼称がそれぞれ真逆なため、便宜上予讃線に合わせています。というのも、瀬戸大橋線という路線名は“愛称”で本来は「宇野線」「本四備讃線」「予讃線」から成り立っています。

 まずは予讃線上りホーム(鴨川・高松方面)
 スマホで撮影したため見えにくいところがありますが、当駅ではホームの構造が「石積み」と「鉄骨」の2種類の構造になっています。手前側が石積み、奥が鉄骨です。推測ですが、八十場駅開業時に石積みの1両分のホームを新設、後に奥の3両分が増設したホームだと思われます。ちなみに次の下りホームと比較すれば分かりますが、こちらの石積み部分は現在の1両分には満ちていません。

 次に、予讃線下りホーム(坂出・松山方面)
 石積み部分と鉄骨部分が半々で分かれています。ホーム有効長が列車の4両分に対応しているので、石積みと鉄骨で2両分ずつとなります。八十場駅の複線化は1966年なので、こちら側のホームが複線化のときに2両分を新設、後に4両分の長さ増設したのではないかと思われます。

 推測ですが、プラットホームができた順が①(駅開業)→②(複線化による増設)→③(ホームの延長)ではないかと思います。
 さらに、上りホーム(元が1両分)側の架線柱(架線吊ったりや電気信号のケーブルを伝える支柱)の設置年月日が「S41.9」つまり昭和41年9月=1966年、下りホーム側は「S61.2」つまり昭和61年2月=1986年に設置されたということでしょう。そう考えると、上りの線路が単線時代からある元のホームではないかという推測です。

 ちなみに、この区間では昭和41年9月に複線化されています。つまり、上り線側の架線柱は複線化のときに新しく立て替えたのだと思われます。その後、昭和62年3月に電化。この電化に伴い、新しく線路を敷設、下り線側の架線柱を建てたのだと思われます。

 「非電化なのに架線柱があるの?」って思われそうですが、先述のように架線柱は「電気信号のケーブル」を通す支柱でもあるため、非電化区間に架線柱があってもおかしなことではないのです。

 このように、鉄道は歴史が分かるものが数多く残されているものですね。いやぁ~奥が深い!!

 以上、八十場駅の勝手な研究でした(笑)

 最後に・・・
 マリンライナーを撮って、2012年の撮り納めです~!

bicycle tetsuMan

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